もう2年半も前でしょうか。ポルシェ 718ボクスターでクローズドコース(サーキット等)に行ったときのこと。ウェット路面を走った時、スピンしそうになりました。
その時―――。
PSM(ポルシェ・スタビリティ・マネジメント。ポルシェ版のESC(エレクトロニック・スタビリティ・コントロール。横滑り防止装置)が介入する直前に、ポルシェがステアリングを通して「危ないよ」と伝えてきたことにびっくりしたことを覚えています(※)。
なんでなのかなぁ、とずっと気になっていたので調べてみました。
(※実際には強い介入の前段階として、システムが「ほとんどわからないほど」に微細な制御を入れているのかもしれません。それが私には「予兆」のように感じられました。ここではその体感を元に書いています。)
プロローグ:300Rの「ガツン」と、低μ路の「囁き」
既出ですが、ポルシェ 718ボクスター (GTS 4.0)に乗って感動を新たにしたのは、ESC(PSM)が作動した時でした。
富士スピードウェイで初めて走行会デビューした時。けっこうな雨が降っています。
雨でも150㎞/h前後で走っていた下りの高速コーナー(300R)。ああっ!イン巻き!!(リアのグリップを失って車が急に内側に引き込まれる現象)
ステアリングの手ごたえがふわっとなくなると、すかさず「ガツン」というものすごい衝撃が。。。
PSMが(私が何もしていないのに)カウンターを当てて、姿勢を立て直してくれました。

もう一つは、水を撒いた低μ(ミュー)路。
道を間違えて減速が遅れ、曲がり切れず。この直前、「そろそろまずいよ」とステアリングが囁いてきました。そしてその直後に力なく道から外れて停車(燃料カットとブレーキ)。
(ステアリングが映っていないので雰囲気のみです。また、うめき声が聞こえています。ご容赦くださいませ)
どちらも共通するのは、車両安定化制御の入るタイミングと入り方が「絶妙」なことと、車が事前に「サイン」を送ってくることです(300Rでは「ふわっ」、低μ路では「ガタガタ」)。
多くのESCは、「危ないから止める」ことを主眼に、燃料カットとブレーキを駆使し、とにかく早く事態の収拾を図る。
一方、ポルシェは危険な状況をドライバーに伝え、次に何をすべきかを教えてくれる(300Rでは、そのサインに気づく間もなく「ガツン」ときましたが。)。
なんでこういった違いがあるのか、調べてみました。
ポルシェ流の制御の「考え方」
車の制御に関しては、技術的な差異よりも、どういった制御を志向するか、ドライバーとどういう対話をするか、という方針の違いが車の「乗り味」の違いを生んでいると感じます。
ポルシェの場合、いろいろな資料を見ると、下記のような言葉が出てきます。
「ポルシェは、今後も、ドライバーが自ら運転する喜びを大事にする(日経 X Tech)」(ADAS部門を率いてきたユルゲン・ボルトラッツィ氏)
「ポルシェはいつの時代も、何よりもまず、自らハンドルを握りたいと願う人々のための車であり続けます。A Porsche will always first and foremost be a car for people who want to drive themselves.(Porsche)」(同上)
「ポルシェは常に、あなた自身が運転したいと思える車であり続けるのです。A Porsche will always be a car that you want to drive yourself.(Porsche)」(オリバー・ブルーメ氏)
ポルシェのモータースポーツ部門や車両開発部門を長年率いてきたフランク・シュテファン・ヴァリザー博士も、再三「ADASは「ミスをした時の安全網(Safety net)」であり、ドライバーの楽しみを奪うものではない」という考えを表明しています(Porsche Engineering Magazine (2020年2号)など)
この「ドライバー中心」の考えは、車の制御やESCの介入、ADAS(アドバンスド・ドライバー・アシスタンス・システム。先進運転支援システム)まで徹底して浸透しているように感じます。
実際、Porsche Engineeringでは、「Subjective Feeling in the Loop(主観評価を制御ループに取り込む試み)」といった研究をしています(前述のPorsche Engineering Magazine)。これは、ADASが介入した際のストレスを数値化して、最適な介入のタイミングや仕方にフィードバックしようというもの。
この研究では、テストドライバーだけでなく一般の被験者も使い、視線の動き、心拍数、さらには皮膚の電気抵抗(発汗)を測定しながら、ADASが介入した際の「心理的ストレス」を数値化しているようです。
記事内でエンジニアは、「客観的に安全であっても、ドライバーが不快や不安を感じる介入は、ポルシェにとって最適なチューニングとは言えない」と明言しています。
ESCの制御をちょっと覗いてみる
私、恥ずかしながらESCがどんな制御をしているのか全然知らなかったので、ちょっとだけ調べてみました。
「協調制御」をしている
まず、ポルシェでは比較的早くから「Integrated Chassis Management」という考え方の重要性を説いているようです。
これは、ダンパーやESC(PSM)、EPSなどがばらばらに情報を吸い上げて個別に(局所的に)介入するのではなく、総合的に状況を判断して最適な介入を行う、というものかなと思います。究極的には「ドライバーの意図を含む走行状態の「文脈」を読み解く」、ということなのだと思います。
具体的には、各制御ユニット(ESC、EPS、エンジンECU、電子制御ダンパーなど)が高速通信ネットワーク(FlexRay等)上で情報を共有し、それぞれがリアルタイム演算を行いながら、結果として「統合的に振る舞う」という構造です。
摩擦円の限界値の推定をしている
実際に、どのタイミングにどのように介入するかは、リアルタイムの「摩擦円の限界値の推定」をもとに計算で割り出しているようです。
シビック タイプR(FL5)に乗っている人なら、4輪のタイヤがグリップ限界に対してどれくらい使っているかを映し出す「LogR」の機能を思い出してもらえるとイメージしやすいかもしれません。
具体的にはステアリングの舵角に対してタイヤ4輪の回転数差(スリップ率)や横Gの立ち上がり方を見て、「この路面のアスファルトはこれくらいのグリップ力(μ値)を持っているな」という摩擦円の限界値をリアルタイムで推定し続けます。
摩擦円の限界値の推定は、グリップ限界を予測することと同義です。限界値の予測をすることで、「今、グリップ限界に対してどれくらい(何%)使っているか」という演算ができるわけです。
この演算から「ズレをどこまで許容するか(介入しきい値)」を、摩擦円の限界値(μ推定)から常に逆算してアップデートしているわけですね。
それで、介入しきい値を超えると、ESCが介入する。

たんに(理想の走りから)ズレたら介入!ではないのは、路面の状況によって介入の仕方を変えなければいけないから。例えば、雪の路面ではμが低いため、早く介入しなければ間に合いませんし、サーキットのようなハイグリップな路面では、ぎりぎりまで介入を遅らせても大丈夫―――そんなわけでちゃんと路面のグリップ限界を推定してから介入タイミングを計ってるのですね。
さらに面白いなぁと思うのは、システムが見ているのは「今」グリップの何%を使っているかだけではない、という点です。
ステアリング操作やアクセル開度の変化量から、「この操作が続いたら、数百ミリ秒後にどうなるか」という挙動の変化も内部モデルで予測しているようです。
つまり、ESCは「滑った後」に動いているのではなく、「このままいくと滑る」という兆候を見ながら介入タイミングを決めている――そんな進化の流れもあるようです(車によって違うようですが)。
ポルシェらしい介入の「流儀」
今挙げたような「協調制御」や「摩擦円の限界値の推定」は、現代のESCでは珍しいことではないようです。
ただ、ポルシェの特徴は「どこで止めるか」よりも、「どこまで許すか」にあるように感じます。
いきなり安定側に引き戻すのではなく、ドライバーが感じ取れる範囲のスリップを許容してくれる。
そして安定に戻すときの「絶妙な」やり方。たとえばPSM用の油圧ユニットに高い「加圧応答性」を持たせ、(ドライバーが知覚できないくらい)繊細かつ素早い介入を可能にしている、といった話もあるようです。
これこそがポルシェの「流儀」なんじゃないかな?と思います。
ドライバーへの「通知」
―――と、ここまで見てきて、大事なことに触れていませんでした。
それは、ESCが介入する前に、車がドライバーに対して「そろそろ危ないよ」と通知してくるところ。
そういう経験がなかったもので、最初は錯覚かと思っていたのですが、じつはちゃんと技術的な裏付けがありそうでした。
それを今から見ていきたいと思います。
ポルシェは「囁く」
具体的には、介入前(あるいは初期介入と同時)に、ステアリングのトルク変化や振動で、ドライバーに危険を知らせている、ということです。
たとえば、前述のFL5。この車は外乱で車の挙動が不安定になると、「有能な秘書」が秘密裏にダンパーやエンジン・ブレーキ等に指令を出し、挙動の乱れを「物理的に抑え込みに行く」。
そしてステアリングの手応え(触覚)を丸める(情報量を抑える)方向で安定感を作る。ドライバーには「大丈夫ですよ」というメッセージだけを送る感じです。
(LogRには淡々と摩擦円モニターに状況が映し出されるのですが、限界付近でモニターを凝視するのは不可能。これはあくまで後で分析する用のツールです。)
一方、ポルシェはまずステアリングを通してドライバーに「そろそろまずいぜよ!」と通知します。
いわば、LogRの摩擦円モニターを、掌の中に埋め込んでいるようなもの。
「ドライバー中心」を標榜するポルシェは、最後までドライバーに主導権を握らせます。「危ない」と判断したらまずドライバーにそのことを知らせ、次の行動を誘発する。それでもだめなら最後はPSMが介入する(ブレーキと燃料カットで「止める」)。
この順序がポルシェにとっては極めて重要なのです。
これがあるからこそ、ドライバーは「自分が車を操る楽しみ」を邪魔されないし、とはいっても自分の限界を超えた時には車がサポートしているので、「安心して身を委ねられる」ということになるのだと思います。
技術の源流はフォルクスワーゲン(VW)グループのDSR?
この「囁く」技術の源流はVWグループの「DSR(Driver Steering Recommendation)」かもしれません。
文字通り、ドライバーに「次にどうしたらいいよん」と車から提案する機能です。
といっても適当なレコメンデーション(お薦め)をするわけではなく、まじめな機能です。
- μスプリット制動時の補正:
- 左右で滑りやすさが違う路面で急ブレーキを踏むと、車体は滑りにくい側に流れます。この時、DSRは「滑りにくい側とは逆」にハンドルが向くようトルクを発生させ、ドライバーが無意識に直進を保てるよう支援します。
- オーバーステア時のカウンター誘導:
- リアが流れ始めた際、DSRがそれを検知。ステアリングを「カウンターステアを当てる方向」には軽くし、「さらに巻き込む方向」には重くします。
- ポイント: 「車が勝手にハンドルを切る」のではなく、「ドライバーが正しい方へ切りたくなる(または切りやすくなる)ように、操作の心理的・物理的ハードルを下げる」のがDSRの真髄です。
- リアが流れ始めた際、DSRがそれを検知。ステアリングを「カウンターステアを当てる方向」には軽くし、「さらに巻き込む方向」には重くします。
この機能は2000年代前半からVWグループ車で導入が進んだとされます(サプライヤーはコンチネンタル系)。
981世代でEPS(電動パワーステアリング)化が進んだことで、ステアリングトルクを使った支援(あるいはフィードバック)を、車両安定化制御と組み合わせて活用できる土台が整った──そう捉えるのが自然だと思います。
ポルシェは、時代の流れに逆らえずにパワーステアリングの電動化に踏み切ったのですが、そのタイミングで、逆にEPSでしかできないことを実装して「ドライバビリティの向上」を実現したのですね。
ポルシェ流DSRアレンジ(グリップ限界を教えてくれる)
当初からポルシェはDSRを「採用している」とは公言していないわけですが、おそらくポルシェ流にこの機能(または類似機能)をアレンジして使っているのだと思います(※)。
もともとDSRは安全運転支援の一環で、自然にまっすぐ走れるようにする、自然にカウンターを当てやすくする、等ドライバーを優しくサポートするためにある機能です。
が、ポルシェはそれを「摩擦円の縁(=グリップ限界)を知らせる通知手段」としても使っているのだと思います。
「そろそろグリップの限界だよ!アクセル緩めるとかしないと危ないよ!」
ポルシェの車がとても運転しやすいのは、車がご丁寧にもこうした「車のグリップの限界」をドライバーに伝えてくれるから、だと思います。
(※)
1.一般的には「ステアリングトルク介入(Torque Overlay)」と呼ばれる技術で、電動パワーステアリング(EPS)を用いて操舵トルクを重畳(オーバーレイ)するものです。ADASにおいては広く用いられています。
2.ポルシェの公開技術資料やスペックシートには、DSRと類似する機能として「steering pulse input」という表記が登場します。
3.718ボクスターのスペックシートには
「Electromechanical power steering with variable steering ratio and steering pulse input」
と明記されています。
4.ユーザーマニュアル(日本語版)では次のように説明されています。
「ステアリングトルクパルスは摩擦値が異なる路面でブレーキをかけた場合に運転者のステアリングアシストを行います。カウンターステアリング中も操舵力を追加して運転者を支援します。」
まとめ
富士スピードウェイや雨の低μ路で感じた、「ポルシェに教えられた」体験。
車が介入する前に指先に感じた「車からの囁き」は一体何だろう。
そんな疑問から調べ始めました。
調べてみると、そこには「ドライバー中心」という確固たる理念と、それをもとにした制御の実装があることがわかりました。

アナログな走りが注目されがちな718ボクスター / ケイマンですが、じつはその裏には「ぎりぎりまで介入しない」制御と、それを可能にするための「ハイテク」な演算があることもわかりました。
そして、危険が近づいたときには、そのことをまず「囁き」として掌に伝えてくれる。
そして、本当に危険な時は「ガツン」と一発で車の体勢を立て直してくれる。
介入までの「間」と介入してからの「速度」。これが危機の度合いに応じてガラッと変わる。
ああ、やっぱり「この車は安心して身を任せられる」という思いを強くしました。
次回は、982世代のこうした「制御」がその後10年の間にどのようにアップデートされているか、最新の事情について触れたいと思います。










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